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千葉地方裁判所 平成4年(わ)413号 判決

主文

被告人らをそれぞれ禁錮二年に処する。

被告人らに対し、この裁判が確定した日からいずれも四年間その刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、国選弁護人大塚喜一に支給した分は被告人乙の負担とし、国選弁護人市川清文に支給した分は被告人甲、同丙の均分負担とする。

理由

(本件事故発生に至る経緯)

被告人甲及び同丙は、平成元年一一月ころ、被告人乙の仲介で、和久井春雄及び高木豊春と共同して中古のプレジャーボート「東」(総トン数約2.4トン)を購入したが、そのころ、被告人乙は、被告人甲や同丙らに対し、同人らが四級小型船舶操縦士の免許を取得し「東」の操船に慣れるまでの間、操船指導をすることを約し、実際被告人乙の指導のもとに被告人甲、同丙らは一、二回片貝漁港の周辺海上で同船の操船練習をした。

平成二年二月、被告人甲は四級小型船舶操縦士の免許を取得し、被告人丙もそのころその実技終了試験に合格し海技免状の交付を待つばかりになったので、平成二年四月二二日早朝、同被告人らは、「東」に家族を乗せて遊覧すると共に操船の練習をするため、それぞれ家族を伴って東京都内の自宅を出発し、同日午前九時ころ、「東」を係留してある片貝漁港で落ち合った。その日は小雨模様で、前夜の強風のため海は時化ていて、海岸には絶え間なく高波が打ち寄せ、漁民も危険を感じ出漁を控える程であり、千葉県銚子漁港事務所が片貝漁港の旧泊地と第二泊地の中間の陸地に設置した風向風速計によれば、朝方は秒速三メートル近くの風が吹き、午前一一時ころからは、風向きは南東に変わり、靄が発生し、同事務所が片貝漁港の南西側の海岸から二キロメートル沖合の海底に設置した波高計によれば最大で三メートル近い波があったと記録されている。被告人甲及び同丙らは、港に居合わせた人達から海に出るのは危険であると注意され、自分達も海岸から沖合いを観察して確かにそのとおりであることを確認したが、同行した家族のために漁港内だけでも船を動かそうと考え、船置き場から「東」を港におろす準備を始めた。そこに偶々、被告人乙がやって来て、被告人甲及び同丙らに対し、今日は海に出られない旨を告げ、かつ、「東」の共有者の一人である前記高木も今朝早く港に来たが悪天候のために操船を断念して帰宅したことを伝えた。しかし、同被告人らは思い切れないで被告人乙にせめて港の中だけでも操船したいから同乗してくれないかと依頼し、被告人乙は、当時漁港内に浚渫船が出ていて漁港内の航走にも危険があるため、その見張役として乗船することを承諾したが、作田川によって連絡する二か所の泊地から成る片貝漁港内のどの部分を航走するかについて何の取り決めもしなかった。

被告人甲及び同丙らは「東」のエンジンキーを持参していたが、燃料遮断器用のストッパーを持参しなかったため、「東」を港に降ろしたもののエンジンを始動させることができず、結局、被告人乙が前記高木から預かっていたエンジンキーとストッパーを使ってエンジンをかけ、ここに被告人ら三名は、同日午前一一時四〇分ころ、被告人甲及び同丙の家族八名とともに「東」に乗船して片貝漁港の旧泊地を出発した。

「東」の定員は一〇名であったが、救命胴衣は七個しか備え付けてなく、浮輪は一個も積まれていなかったうえ、出発に際し、子ども達は勿論のこと、乗船者の誰も救命胴衣を着用せず、また、被告人甲と同乙は両名とも四級小型船舶操縦士の免許を有し、このように船長資格を有するものが数名乗船する場合には法令上船長を決めなければならないことを知っていたのに、これを決めることもしなかった。

当初は、被告人甲が操船を担当し、デッキにいた被告人乙の案内で旧泊地から外洋に通じる作田川を約五ノットの速度で進行し、途中第二泊地の入り口にさしかかったとき、被告人甲が被告人乙に同泊地に入るか否か身振りで訊ね、被告人乙が直進の合図をしたので、被告人甲は更に漁港の出口に向け進行し、漁港の出口から七〇メートルないし八〇メートル手前の地点に至ったとき、デッキからコックピット内に移動していた被告人乙が同甲に対し、右に旋回する趣旨で「右。」という言葉を発したが、被告人甲はこれを右側通行で漁港出口を通過し外洋に出るよう指示されたものと速断し、僅かに右に針路を変えただけでそのまま直進を継続した。そのとき被告人乙は、操縦者である被告人甲のすぐ脇に位置していたが、同被告人が依然として直進するのを見て知りながら、同船の旋回径からすれば十分反転可能であったのに、右に旋回させるための再度の指示をするとか、自ら直接手を下して船を右に旋回させるなどの措置をとることなく、漫然とこれを放置した。

港外に出た直後は波が荒く、被告人甲は、被告人乙から波の乗り方及び針路等について指導を受けながら航行したが、波の荒い海域を乗り切り沖合いの静かな海域に出ると、被告人乙はキャビンに入って子ども達と遊び、被告人甲は、折角海に出たからには被告人丙にも操船させようと考え、同日午前一一時四八分ころ、同漁港の北防砂堤南西端から磁針方位約一九〇度・約一七五九メートル付近海域において、同被告人に操船を引き継ぎ、その後は被告人丙が操船した。その間、被告人甲及び同丙の両名とも、視界が悪いのに針路をコンパスで確かめることをせず、また、どの程度の距離を航走したかについて全く無頓着のまま船を走らせ、被告人乙もこの点について格別の指示、助言等をしなかった。

右のような状態でしばらく操船を続けるうち、子ども達が海の荒れに対する不安感から帰ろうと言い出したところから、被告人丙は、同日午後零時六分ころ、前記北防砂堤南西端から磁針方位約一八五度・約二五九三メートル付近海域において「東」を反転させた。

(罪となるべき事実)

一  被告人甲は四級小型船舶操縦士の免許を有し、業務として小型船舶の操船に従事し、プレジャーボート「東」の操船にあたり、前記のように被告人丙に操船を引き継いだものであるが、前記日時に前記海域で「東」を反転させるに際し、被告人らにおいて自船の位置を全く把握できていなかったことに加えて、海が荒れているうえ視界が悪く、同所から片貝漁港及び陸岸が視認できない状況であり、そのような状況下で徒に港と思われる方向に航行を継続した場合、針路を誤り、陸岸に接近しすぎて当時発生していた磯波を受けて船を転覆させる危険が予想されたのであるから、被告人甲としては、自らの操船により荒れ模様の片貝漁港外の海域に「東」を乗り出させたうえ、未だ免許を取得しておらず操船経験の浅い被告人丙に操縦を引き継いだ者として、同被告人に対し、「東」を前記反転地点付近海域からみだりに移動させることのないよう指導し、同所にとどまって視界が晴れるのを待ち、船位、方位を確認したうえで航行を再開させ、もって、磯波の立つ危険な海域への航走を防止するなどして、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、船位及び針路の安全を確認することなく、漫然、同被告人をして右「東」の航走を継続させ、片貝漁港への針路と異なる磁針方位約三二五度、速力約8.7ノットで磯波の立つ危険な海域に向け航行させた過失

二  被告人乙は、四級小型船舶操縦士の免許を有し、業務として小型船舶の操船に従事し、「東」の売買斡旋をしたことから被告人甲、同丙らに対する操船指導を引き受け、本件当日も片貝漁港内の操船の指導案内のために「東」に乗船し、被告人甲が荒れ模様の片貝漁港外の海域に「東」を航行させるのを黙認したうえ、港外に出た後も被告人甲、同丙の操船の指導にあたっていたものであるが、前記日時に前記海域で被告人丙が「東」を反転した際、前記のような気象、海象下で徒に港と思われる方向に船を走らせると、針路を誤り陸岸に接近しすぎて当時発生していた磯波を受けて船を転覆させる危険が予想されたのであるから、被告人乙としては、前記のような経緯から外海においても操船指導を黙示に引き受けた者として、被告人甲とともに、免許を取得しておらず操船経験の浅い被告人丙を的確に指導し、右「東」を前記反転地点付近海域からみだりに移動させることのないようにし、同所にとどまって視界が晴れるのを待ち、船位、方位を確認したうえで航行を再開させ、もって、磯波の立つ危険な海域への航走を防止するなどして、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、船位及び針路の安全を確認することなく、漫然、同被告人をして右「東」の航走を継続させたばかりか、被告人甲、同丙と比較して操船経験が長く地元に住み地形海象に通じていたところから、被告人丙の傍らで同被告人に対し専ら勘を頼りに「右」に「左」にと針路を指示して、同被告人をして前記針路・速力で磯波の立つ危険な海域へ向け航行させた過失

三  被告人丙は、四級小型船舶操縦士の免許を取得する意図のもとに業として小型船舶の操縦に従事し、前記「東」を操縦して前記日時に前記海域において同船を反転させたものであるが、前記のような気象、海象下で徒に港と思われる方向に船を走らせると、針路を誤り陸岸に接近しすぎて当時発生していた磯波を受けて船を転覆させる危険が予想されたのであるから、同被告人としては、被告人甲及び同乙の指導の下に、右「東」を前記反転地点付近海域からみだりに移動させないようにし、同所にとどまって視界が晴れるのを待ち、船位、方位を確認したうえで航行を再開し、もって、磯波の立つ危険な海域への航走を防止するなどして、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、船位及び針路の安全を確認することなく、漫然、右「東」の操船を継続して、前記針路・速力で磯波の立つ危険な海域へ向け航行させた過失

により、同日午後零時一二分ころ、右「東」を磯波の立つ危険な海域である前記北防砂堤南西端から磁針方位約二二〇度・約一七四〇メートル(千葉県山武郡九十九里町片貝海水浴場南側離岸堤の沖合約四七〇メートルの地点)付近海域まで航走させ、同所において、被告人乙の指示により被告人丙において右に転把し、「東」の船体が海岸線とほぼ平行の向きになったとき、同船右舷正横に波高約三メートルの磯波を受けて同船を転覆させ、そのころ、同所付近海域において、同船に乗船していた甲2(当時一五歳)、甲3(当時一二歳)、甲4(当時六歳)、丙2(当時一四歳)、丙3(当時一二歳)及び丙4(当時一〇歳)を溺死(ただし、丙2の遺体は行方不明)させ、甲5(当時四〇歳)に加療約一週間を要する溺水による全身衰弱の傷害を負わせたほか、同月三〇日午後二時二二分ころ、東京都文京区〈番地略〉日本医科大学付属病院において、丙5(当時三六歳)を溺水肺水腫に起因する呼吸不全により死亡させたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(補足説明)

第一  転覆地点及び転覆原因について

(弁護人らの主張)

弁護人らは、プレジャーボート「東」の転覆地点について、その場所は陸地から一〇〇〇メートルないしそれ以上離れた沖合であって、判示のような片貝漁港北防砂堤南西端から磁針方位約二二〇度、約一七四〇メートル付近海域(陸地から約一〇〇メートル離れたところに設置された離岸堤から更に約四七〇メートル沖合の海域)でなく、また、転覆原因は、磯波によるものではなく、三角波を受けたことないしはブローチング現象による可能性が強い旨を主張し、被告人らも公判廷において右の点について曖昧な供述をしているので、まず、この点について検討する。

(当裁判所の判断)

転覆地点については、それが視界がきかず周辺に目標物がない海上における事故であることから、当時の「東」の航走した経路、時間、方向、速度等を実況見分によって再現し、その結果から推認せざるを得ないのであるが、その手掛かりとなる被告人らの記憶に不明確な部分があることは弁護人らの指摘するとおりである。しかしながら、平成二年九月三日及び同年一〇月一二日の二回にわたって行われた実況見分は、被告人三名のほか唯一の生存者である甲5をも立ち会わせ、各人の指示説明に基づいてできる限り当時の状況を再現しており、もとより右実況見分の際、立会人らに対し捜査官による押し付けや不当な誘導がなされた証跡はなく、とりわけ転覆地点に関しては、被告人乙が転覆直前に靄の切れ目から現認したテトラポッドと海岸のヤマサ荘の位置関係やその方向及び目測距離、同じく被告人丙が操船中に一瞬現認したテトラポッドの方角などを総合勘案して特定されたものであって、信用性が高いものと認められ、被告人乙も当公判廷においてこの実況見分の際に指示した地点に間違いないと述べていることなどからすれば、本件の転覆地点は右実況見分調書によって特定されているとおり、片貝漁港北防砂堤南西端から磁針方位約二二〇度、約一七四〇メートル付近海域(海岸から約一〇〇メートル離れたところに設置された離岸堤から更に四七〇メートル沖合の海域)であると認定するのが相当である。

次に、転覆原因についてみると、前掲関係各証拠によれば、プレジャーボート「東」は、被告人乙が前記離岸堤のテトラポッドを発見し船が漁港の方向に向かっていないことに気付き被告人丙に指示して針路を右に修正させた直後に右正舷に約三メートルの横波を受けて転覆したことが明らかであるところ、九十九里海岸は遠浅で沖合いのうねりがそれほど大きくなくとも海岸に近づくにしたがって大きな磯波が立つ地形になっており、風向が東ないし南のとき「いなさ波」と称してそれが特に顕著になること、海上保安官が本件事件当日の午後二時五五分ころ事故現場に比較的近い海域で気象、海象を観測した結果によると、そのときの天候は雨で、毎秒八メートルの南東の風が吹いており、これによって南東方向から北西方向に階級四(波の高さ1.25メートルないし2.50メートル)の風浪が発生し、かつ、同じ方向に階級三(波高二メートルないし四メートル、波長短、即ち一〇〇メートル以下、周期三秒ないし四秒)のうねりが認められ、このうねりは連続して海岸に押し寄せ海岸線付近の波高は四メートルを越えていたこと、片貝漁港の波高及び風向、風速観測レポートによれば、本件転覆時刻ころの状況も波の周期がやや長く、風速を示す数値がやや低いほかはこれと大差がなかったと認められること、本件転覆地点は水深五メートル等深線より更に陸地に接近した海域で、当時満潮の約二時間前であったことを考慮しても、その水深は五メートルないし六メートル程度であったと認められること、一般に磯波は波浪がその波長の半分より水深が浅い海域に到達したとき波高の増大と波長の短縮を起こし険しさを増して発生するもので、本件転覆現場は前記のようにうねりの波長に比較して遙に浅いうえその地形上うねりや風浪が押し寄せると高い磯波が発生し易い海域であったと認められ、通常は沖合一キロメートル位から波が高く険しくなり五〇〇メートル位に接近すると砕けるとされていることなどを総合すれば、「東」は磯波を受けて転覆したと認定するのが最も合理的である。弁護人らは転覆する直前は大きなうねりがなかったとする被告人らの供述を重視して「東」が三角波を受けたことないしブローチング現象によって転覆した可能性があるなどと主張するが、三角波は方向の異なる複数の波が衝突することで生じるものであるところ、既に述べたように、当時は風浪及びうねりの向きが共に南東方向からであったことが認められるから、「東」を転覆に導いた波が三角波であった可能性は乏しいものと考えられ、また、ブローチング現象は追い波を受けながら比較的高速で航行するときに生じるものとされているところ、「東」は右に針路を変え船体が海岸線と平行になったとき横から大きな波を受け転覆したものであるから、それがブローチング現象によるものとも考え難いというべきである。

第二 被告人らの役割について

(弁護人らの主張)

被告人甲の弁護人は、同被告人は船長として「東」に乗り組んだ者ではないから、右地位に基づいて結果の発生を予見し、回避する義務は存在せず、また、被告人乙の弁護人は、同被告人は操船指導案内人として「東」に乗り組んだ者ではないから、右地位に基づいて結果の発生を予見し、回避する義務を負うものでないばかりでなく、同被告人は当初は漁港内だけで乗るつもりであったのに、被告人甲が被告人乙の意に反して「東」を外洋に乗り出してしまい本件事故となったものであるから、漁港外に出た後についてまで被告人乙にその様な義務を負わせることはできない旨を主張している。

(当裁判所の判断)

そこで、検討すると、証拠上被告人らに明示的な役割分担があったと認められないことは、弁護人らが主張するとおりであるが、前記本件事故発生に至る経緯の項で述べたとおり、被告人甲は、被告人丙らと共に「東」を所有し、本件当日は被告人甲が操船して片貝漁港外に乗り出し、外洋において被告人丙に操船を替わったというものであるところ、被告人甲は、既に四級小型船舶操縦士の免許を取得しているのに対し、被告人丙はいまだ右免許を取得しておらず、操船の経験の殆どないもので、被告人甲はこのような事情を承知したうえで被告人丙に「東」の操船を任せたことからすれば、被告人甲には、条理上ないしは自己の先行行為に基づき、「東」の操船に関し結果の発生を予見、回避すべき義務があり、かつ、これに沿って被告人丙の操船を監督指導すべき法律上の義務があったというべきである。

被告人乙については、その小型船舶操船の経験、力量について被告人甲及び同丙においてこれを過大に評価していた部分のあったことは否めないとしても、被告人乙は、前記のように、被告人甲、同丙らに対し「東」の売買斡旋をした際同人らが四級小型船舶操縦士の免許を取得し「東」の操船に慣れるまでの間操船指導をする旨の約束をし、現にその後一、二回操船指導を行うなどしていたものであり、本件当日にも、港内に浚渫船が出ていることもあって港内の航走についてさえも危険があるとして、被告人甲、同丙の案内をする約束で「東」に乗り込み、また既に述べたように被告人乙がいて始めて「東」のエンジンを始動することができたという事情が窺われること、同被告人は片貝漁港の出口近くで「東」をUターンさせるつもりで被告人甲に対し、「右。」という指示を与えたというのであるが、その後も「東」が直進を続けたにもかかわらず船が防砂堤外に出るまでの七〇メートルないし八〇メートル程の間、被告人甲のすぐ脇に居ながら何の指示も与えないで放置し、防砂堤から外洋に出て波の荒い海域を抜け出すまでの間、被告人甲に対し波の乗り切り方等について実地指導を施していること等からすれば、被告人乙は「東」が片貝漁港の外に出ることを結局は容認し、当初の約束にかかわらず右漁港外においても操船指導をすることを黙示に引き受けたものと認められ、以上を総合すれば、被告人乙は、港内はもちろんのこと、港外についても、「東」の操船に関し結果を予見、回避すべき義務を有し、かつ、これに沿って被告人甲、同丙の操船を監督指導すべき法律上の義務を負うに至ったものということができるばかりでなく、被告人乙は、被告人丙から、同被告人が反転して帰港しようとした際、船位及び方位を失い助言を求められるや、これに応じ、被告人丙に対し専ら勘を頼りに「左」、「右」などと積極的に進行方向を指示し、被告人丙はその指示どおりに操船していた事実が明らかであることに徴すると、被告人乙が結果発生を予見、回避すべき義務を負うべき立場にあることはますます明らかであるというほかない。

被告人丙については、被告人甲から「東」の操縦を引き継ぎその後同船の転覆に至るまで終始操船に従事し、帰港するため同船を反転させたのも同被告人の判断に基づくものであるから、「東」の操船を直接担当していた者として、業務上過失致死傷罪を問われる根拠となる結果発生を予見し、回避すべき義務を負っていたものであることは明らかである。

第三 被告人らの過失について

(弁護人の主張)

弁護人らは、いずれも被告人らに刑事責任を問うべき過失はない旨を主張し、被告人乙の弁護人は、本件事故の直接の原因は転覆直前に被告人丙が横波を受けることを顧慮することなく急に右転把したという未熟な操船方法によるものであるから、被告人乙にこの点の責任を問うことは酷である旨付加主張する。

(当裁判所の判断)

そこで、検討すると、本件当時、実際に操船に従事していた被告人丙並びに同被告人を監督すべき立場にあった被告人甲及び同乙らは、あるいは四級小型船舶操縦士の免許を有し、また、免許を所持していなくとも同免許の実技終了試験に合格するなどして、磯波などに関する知識を有していたほか、本件当時、自ら海の様子を見て、海が荒れており海岸付近に高波が立っていて危険な状態であることを現認し、付近住民から当日は出航できない旨の注意すら受けていたのであるから、そのような気象、海象下で「東」で漁港外に乗り出すこと自体、既に乗員の生命、身体に危険が及ぶことがあり得ることを認識、予見していたものであるばかりでなく、「東」のような小型船舶が磯波の立つ海域に進入すれば転覆するおそれが高く、万一転覆した場合には婦女子を含む乗員の生命、身体が危殆に瀕することは目に見えていることを承知していないはずはなく、沖合で靄のため船位、方位を失った際迷走すれば場合により陸岸に近づきすぎて磯波を受けて転覆する危険があることは十分に予想可能であり、いわんや被告人らは港の出入口と思われる方向、すなわち陸地の方角を目指して「東」を進行させていたのであるから、なおさら右のような危険発生の蓋然性は大きかったというべきである。してみると、被告人らが沖合で船位、方位を失ったことに気付いた時点で、船の進行を停止しその海域に自船をとどまらせ、右のような危険を回避するのが最も適切な措置であったというべく、現に被告人らも公判廷において、そのようにすべきであったと述べているのである。このように、被告人らにおいて迷走して陸岸に近接すれば転覆して乗員の死傷の結果が発生するであろうことを認識予見し、かつ、反転したときその海域に船をとどめていればすくなくともそのような結果の発生を回避し得たという関係が認められる以上、被告人らの迷走行為はかかる回避義務に反した行為といわざるを得ないのであって、右義務が刑事上の過失責任を問う根拠となりうるものであることは既に述べたとおりであるから、被告人らにいずれも過失を認めることができるというべきである。

なお、被告人乙の弁護人は、本件の転覆原因は被告人丙の未熟な操船方法にあるともいうけれども、被告人丙は転覆直前に被告人乙に右に進路を変えるように言われその通り船位を変えたに過ぎないのであって、未だ免許を取得しておらず当然操船にも習熟していない被告人丙に対して右のような指示を下す以上、指示する側において周囲の波浪の状況を観察してそれに応じた方法を選択指示すべきものであるから、所論のような事情があったとしても被告人乙が過失の責を免れるものではない。

第四 公訴棄却の主張について

被告人甲及び同丙の弁護人は、両名に対する検察官による本件公訴は、それぞれ家族を失うという苦痛を受け、いかなる非難をも甘受しようという心境にある被告人両名に対して更に刑罰権の発動を求めるものであって、公訴権濫用に当たるから本件公訴は棄却されるべきであると主張するが、本件事案の内容からすれば、これを公訴提起した検察官に裁量権の逸脱があったとは到底言い得ず、弁護人の右主張は失当である。

第五 結論

結局、本件においては、被告人らにいずれも、結果発生について過失の存在を認定することができ、被告人甲及び同丙について公訴権濫用といえる事情も存しないのであって、弁護人らの各主張は、いずれも採用できない。

(法令の適用)

被告人三名の判示丙2ほか七名に対する各所為は、いずれも行為時においては平成三年法律第三一号による改正前の刑法二一一条前段、同改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては右改正後の刑法二一一条前段に該当するところ、右は犯罪後の法令により刑の変更があった場合に当たるから同法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、被告人らの各所為はいずれも一個の行為で八個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により、犯情の最も重い丙2に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、各所定刑中いずれも禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で、被告人三名をいずれも禁錮二年に処し、情状により、被告人らに対し同法二五条一項を適用してこの裁判が確定した日からいずれも四年間それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により、国選弁護人大塚喜一に支給した分は被告人乙に負担させ、国選弁護人市川清文に支給した分は被告人甲、同丙に均分して負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、被告人甲及び同丙の両名が、仲間四人で共有していたプレジャーボートにそれぞれの家族を乗せ、被告人乙の操船指導を頼りに、折からの荒波をおして漫然と外洋に乗り出し、靄のため視界を失い迷走した挙げ句、陸岸に近づきすぎ、磯波を受けて船を転覆させ、被告人甲は一五歳の長女のほか、一二歳の長男、六歳の次男を失い、被告人丙は一四歳の長女、一二歳の長男、一〇歳の次男のほか妻までも死亡させ、同被告人の長女は今に至るも遺体さえ発見されないという誠に悲惨な海難事故の事案である。

本件の直接の原因は、罪となるべき事実に記載したとおり、小さなプレジャーボートに多数の女、子どもを乗せて荒れた海に乗り出し、沖合に出て靄のため方向を見失うや、やみくもに港に帰ろうとして徒に船を迷走させ、その結果陸岸に近い磯波の立つ危険な海域に乗り入れて遂に船を転覆させたことにあるが、そこに至る経緯においても、被告人甲、同丙らは出航の前に地元の人間のほか、被告人乙からも海が荒れていて出航できない旨の注意を受けており、自分達でも荒れた海の状況を十分に認識し、それだからこそ当初は港内だけを航走するつもりであったはずなのに、被告人らの相互の意思の疎通を欠いたのが原因で漫然と港外に出ていく結果となってしまったこと、その際、被告人甲は四級小型船舶操縦士の免許を取って間がなく航海の経験も殆どなく、被告人乙も平成元年に右免許を取得したばかりで、荒れた海を航行した経験はなかったこと、本件プレジャーボートは最大搭載人員が一〇名であるところ、もともと救命用浮輪はなく、救命胴衣も定員に見合う数の装備がなかったうえ、子ども達にすら救命胴衣を着用させていなかったこと、本件航海に際して船長等船舶の運行責任者を決めるなどしていなかったことなど、被告人らに数々の落ち度があったことを指摘できるのであって、被告人らの行為は無謀かつ軽率であるとの誹りを免れず、その結果は七名もの多数の尊い生命が失われたという極めて重大なもので、昨今、マリンスポーツが普及し、その底辺が拡大していく中で、安易な行動に対する警鐘としての見地からも、被告人らの刑事責任を軽く考えることは到底許されるものではない。

しかしながら、本件は、せめて港内だけでも船を航走させて子ども達を喜ばせようとした被告人甲及び同丙の親心や、右両名に頼まれて日本酒一本の謝礼で港内の案内を引き受けた被告人乙の好意に発したものであること、一挙に三名の子どもを失った被告人甲や妻子四名を失った被告人丙らの自責と悔恨の念は深く、両名とも終生癒しがたい心の傷を負うに至っていること、被告人らも「東」の転覆により海中に投げ出されあるいは船室に閉じ込められいずれも九死に一生を得たものであること、被告人らは被害者らの冥福を祈るとともに本件を真摯に反省する態度を示していること、被告人らにこれといった前科前歴はなく、社会人として真面目に生活してきたと認められることなど、被告人らにとって有利な、あるいは斟酌すべき事情もあるので、これらを総合考慮して、被告人らにそれぞれ主文掲記の刑を科したうえ、その刑の執行を猶予することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官神作良二 裁判官井上豊 裁判官馬場純夫)

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